| 曽我氏⇒進歩・革新派 |
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物部氏⇒保守派 |
| 豪族出身であり政治家 |
軍・警察権力 |
朝鮮半島を先進文化との考えから
仏教を国家の宗教と考える |
古来の神々を信仰し仏教は
邪教と説いた |
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| 用明天皇の後継者争いで曽我氏勝利⇒仏様が守ったとの考えが強まる |
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| 護国仏教 |
聖徳太子が亡くなり、蘇我氏は645年天智天皇(中大兄皇子)の大化の改新で
滅び天皇中心の律令国家となる |
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| 仏壇のはじまり |
天智天皇の後、天武天皇は経典を大切にすれば災難は除かれ国家安泰となる
と、仏教興隆に力をそそいだ |
| 諸国の家ごとに社殿を設置させ、仏像や経典をおき礼拝供養をさせた・・・これが仏壇のはじまり |
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| 奈良の大仏 |
聖武天皇はもっと民衆に仏法を浸透させる為に、諸国に国分寺と国分尼寺をつくらせた
この総国分寺の本尊がいわゆる奈良の大仏となる(745年) |
- この時代は干ばつや災害がひどく、民衆を収める為に仏様が必要だった
- 民衆の力で建立できたという意識を持たせる為に、民衆に土一握りでもいいから寄進させた
- この役目に大きく活躍したのが行基 ※初代の大僧正となる(僧の位で最高位)
- 行基(ぎょうき)は村や町を歩き、民衆の悩みを聞く等し、貧困にあげく民衆の救いの役割を果たす
- 朝廷は行基の介入にあまりのりきでは無かったが、資金集めが目的でゆるした
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| 最澄⇒天台宗の登場 |
- 奈良仏教にみる政治と宗教のつながりに反感をもった最澄は比叡山に立てこもり法華経をとなえる
- 最澄は804年、唐で天台宗を得て帰国
- 桓武天皇の病気祈祷が認められる⇒806年天台法華として独立宗
- 一切皆成の信仰 「人・草・木でさえ成仏できる」 どんな人でも法華経により成仏できると唱える
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| 空海⇒真言宗登場 |
- 最澄登場の後、嵯峨天皇の恩恵を受けて広がる
- 大日如来が全ての神仏の母体と考える。 大きな意味で宇宙の創造と考える
- 仏具や曼荼羅を用いた⇒人気の原因の一つとなる
- 816年高野山を修行の中心母体とする
- 僧の諸国布教⇒弘法大師伝説とともに広がる
- 四国88ヶ所・お遍路さんも信仰の表れ
- 弘法も筆のあやまりは、筆の達人だった空海も間違いが有るという意味
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| 阿弥陀仏⇒浄土宗の登場 1175年 |
- 末法思想⇒釈迦入滅2千年後から世がおかしくなり末法の世が来ると信じられていた
- このころ疫病や災害があいつぎ、事実暴動が起き、不穏な世になっていた
- 阿弥陀仏の出現
- 念仏「南無阿弥陀仏」ととなえることにより誰でも成仏ができると広がる
- 比叡山で天台宗を学ぶ法然によって確立される
- 念仏をとなえることによって誰でも成仏できるというわかりやすさから広がりも早かった
- 地獄と天国を表現し、念仏により天国にいけるとも考えた
- 武士・農民等、身分は関係ない・・・このことから一般の人に広がるのも早かった
- 天台宗の僧侶が浄土宗に移るものが増えていく
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| 親鸞⇒浄土真宗登場 1224年 |
- 他力本願型宗教⇒ 阿弥陀仏(他人)の救いにより往生できる
- 親鸞は公家出⇒9歳出家⇒20年の修行⇒
- 煩悩を絶つことができず救世観音(聖徳太子の化身と思われていた)で100ヶ日祈願をする⇒
- 100ヶ日祈願により法然に行けとのお告げから浄土宗を学ぶ
- 親鸞自身が煩悩から脱せられない人間と説き、阿弥陀如来が救ってくれると説いた
- 肉食・結婚・在家生活を肯定した事もあり、農民に人気がでる
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| 一遍⇒時宗 1275年 |
- 毎日が臨終⇒ 一心不乱に念仏をすればよいと説く
- 仏教的な浄・不浄を説くことに力を入れず、単純でわかりやすい⇒武士、農民にかかわらず人気が出る
- 神仏協調 浄土教に見られる神非信をせず神々の協調をはかった
- 盆踊りの原型?
- 踊る事で、愚かさを楽しく表現することにより救われると楽しみを入れた⇒盆踊りの元祖と思われる
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